石積みの家と緑の庭の源

 1 ギリシャ、パロス島の電気も水道もない石積みの家

パロス島の石積みの家


大昔の話で恐縮です。1980年代、ギリシャ、パロス島でお世話になった日本人の方が、ドイツ人のガールフレンドと住んでいた石積みの家です。原点中の原点かもしれません。当時は何しろ若かった私、世界にいるいろんな日本人、いろんな暮らしのひとつぐらいにしか感じていなかったかもしれません。ところがこの家、今となっては本当に大きな意味を持って存在しています。

この家に電気はきていません。さらに水道設備もなく、飲料水は井戸からくみ上げていました。その他に家の前にある大きな石の桶にためた雨水を、シャワーなどに利用していました。
水道のない暮らしは、当時のギリシャの島でも珍しかったと思いますが、日本で普通に暮らしていた私にも、ちょっとしたタイムスリップでした。でも、ギリシャに行く前、東南アジアやインド、ネパール等を旅していたので、案外、慣れてもいました。むしろ、電気や水道、そしてトイレやシャワーなど完備していなくても、生活はしていけるんだというのが、わかり始めて、それほど問題にしなくなっていたのも確かです。もっと言えば、日本では考えてもみなかった暮しが、もうひとつの楽しい世界として感じ始めていたのを覚えています。

家主の日本人は、ここへ来る前に、西ドイツのベルリンの目抜き通りでレストランを経営していたらしいのですが、暮らし向きは良くても、とかくストレスがたまるその暮らしに見切りをつけ、このパロス島にガールフレンドと、前の奥さん(ドイツ人)との子と、移り住んだのだそうです。ベルリンの暮しから、このギリシャでの暮らしは、一気に原始に戻ったはずですが、やっと気持ちが平和になったと話してくれ、何よりも、子供を育てるのにギリシャは本当に良い所だと、何度も言っていたのが印象に残っています。

私達がギリシャに行った2月はオフシーズンだった事もあって、観光客は誰もいず、観光向けのお店も閉まっていて静かそのものでした。石積みの家のご主人も、久々に出会った私達日本人をとても歓待してくれ、日本語を話すのが、嬉しくて仕方ない様子でした。

忘れられないのが夕食の場面です。彼は裏の農家のおばさんからたくさんのニワトリの卵と、自家製ワインを調達してきてくれました。大きな鍋いっぱいの白い日本米を炊いてくれ、そしてとっておきのキッコーマンのお醤油を出してくれました。 「好きなだけいくらでも食べて下さい。」

その卵かけご飯が、とんでもなくおいしかった事は言うまでもありません。本当に本当においしくて、遠慮なく何杯もおかわりをしました。私たちも日本を長く離れた日本人で、ふっくら炊いたご飯に、生卵も、醤油味も、どれだけ日本人が恋しい味か知っています。あの時の生卵、黄身が盛り上がったとっても元気な卵でした。

この家に物は何もないけれど、暮らしの豊かさの原点があると感じた事は今に繋がっています。このサイトの「はじめに」でも書きましたが、ユーカリの葉を燃やして焚き火をし、チキンを焼いてくれたのはこの家です。微妙なハーブ味のジューシーなチキンは絶品でした。家の前の大きなユーカリの枝に吊ったブランコで遊ぶ、子供達の笑い声があったのもこの家です。そして、どこまでも続く石垣の向こうに、ゆっくり夕日が落ちていったのもこの家です。

とても印象深い家なのに写真はこの1枚しかありません。
家の中を思い出してみます。家財といえば、板を渡した棚に並べてある本ぐらいのもので、後は、寝るための作り付けのベッドと寝具があっただけです。
台所は水が使える流しがありました。それといくつかの鍋や食器、必要最小限です。実にすっきりと、家をそのままの広さで使っていました。広さも10坪ぐらいのリビング兼寝室のワンルームに流しのある台所がついているというもの。

でも、ランプの灯りで食べた夕食の団欒はとても楽しいものでした。話題は、これからパートナーのガールフレンドが、ミシンをどうしても使いたいと言っているらしく、電気を引く計画があるとかで、そのミシンを使って作りたいものの話、、、育てているハーブを使って作っている化粧品の話、、彼女のワクワクが伝わってきました。

今、日本でちょうど、これまでの生活を根底から見直すような事が起きて、この家の暮らしと流れていた時間を思い出します。
この写真を見ると、いつの間にか当たり前になっている便利さと引き換えてきたものの意味を、今一度、問いかけられているような気がしました。


【写真】:この頃、さほど犬に興味があった記憶がないにもかかわらず、先代犬ビビや、らく風の茶色い犬とやけにフレンドリーに、しかもワイン片手に写真に納まっている自分がおかしいです。(笑)

2011/4/13 住民B

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